あなたの理想はなぜ脆いのか?

もはや交流会は必要なくなった

昨日のこと。

僕はある友達に誘われ、
勝どきのタワーマンションの一室で開かれた交流パーティに参加した。

勝どきのタワマンといえば、
最近は若い起業家などが住み着いている、新進気鋭のエリアらしい。

昨日の交流パーティも、そうした30代の起業家が場所を提供して開催した、
これからの成長と夢の実現を目指した志高い若者を集めたものだった。

僕自身、こうした集まりは昔から好きだった。
いわゆる「意識高い系」ともいわれるような、
自身の夢の実現や社会貢献を目指している人たちと関わると、
自分自身も何かしら成長できるような気がして、
また一方ではそういう人たちと話すことによって、
自分の今の実力を示すことができるという
一種の見栄っ張りの気持ちを満たすような感覚もあって、
学生時代からこうした交流会には何度も足を運んだ。
よりつっこんでいえば、当時の僕は自分が腰を据えて
一生取り組んでいきたいと思うような
「志」とも言えるようなものがなかったわけであるけれども、
その自分の根無し草のような空虚感を満たすために、
他人の真っ直ぐな想いに触れ、
また見栄っ張りから作り上げた自分の張りぼての頭脳を
自慢しにいっていたわけだ。

しかしながら、ここ1、2年で僕の意識は変わり、
いくら志が高そうな人たちと交流したからといって、
自分が何か腰を据えて取り組んでいるようなものがなければ、
僕が真に周りに認められることはないどころか、
自分の成長もないということに気がついた。
そして、書くことによって読者にあなたの本心とは何かということを問いかけ、
またそれを言葉としてしっかり表現していくことを手伝っていくという
僕自身の志が明らかになっていくにつれ、
僕が積極的にやるべきことは交流会のような場で不特定多数の人と出会い、
話すということではないということが明らかになってきたため、
ここ数ヶ月は自ら望んで人との交流もしていなかった。

ただ、昨日に関していえば、
久しぶりに会った友達が僕を誘ってくれたこと、
また、長らく交流会というものに参加せず、
僕自身を生で表現する機会がなかなかなかったため、
腹を割って話すという場に植えていたことから、
参加することにした。

 

チグハグな会話

誘われるがままに参加した僕だったけれども、
誘ってくれた友達のきめ細かい気配りもあり、
完全にアウェーな環境にありながら、
すんなりと交流会の輪に入っていくことができた。

全員と話したわけではなかったけれども、
交流会にはいろんな人が集まっていた。
会社で普通に働いている人がいるかと思えば、
雑貨が好きでそれを仕事にしたいと夢を見ている人もいたり、
また読書が好きで読書会を開かないかと僕を誘ってくれた人もいたりで、
仕事や趣味はもちろん、目指している夢も実に様々だった。
だけれども、そこに参加していた人全員に共通していたのは、
みんな何かしらの夢や目標を抱えていて、その実現に日進月歩近づいており、
そしてそれを実感しているからこそ表情が明るいということだった。

さて、交流会の後半で、僕はホームページの作成の仕事をやっているという
年齢が同じくらいか少し下の男性とじっくりと話す機会があった。
彼は、交流会での挨拶というものがいつもそうであるように、
僕に「何をされてますか?」という質問から話を切り出した。

「本を代筆するブックライターと、クライアントの志を明らかにし、
それを言葉として書き出すためのサポートをする
ライティングコーディネーターということをやっています」

「へえ、それで将来的にはどんなふうになりたいんですか?」

「それで、その仕事にはどれだけの価値があると自分では考えているんですか?」

僕は、彼が投げかける様々な質問に、
「僕のことを試しているな」ということを感じつつも、
自分の仕事に対する考えや経済観、人生観を、
今感じている範囲で事細かに語った。
ただ、あんまり通過儀礼的に、また挑発的に曖昧な質問を投げかけてくるので、
僕も多少イラっとして、彼に質問を返すことにした。

「君のいう価値とはどういう意味だろう?」

「君は自分の仕事にどれくらいの価値をつけているのかな?」

「将来的にはどんな働き方をしていきたいんだい?」

はじめのうち、彼は確か自分の仕事はだいたい20万円程度だと言っていた。
そして、20万より下の価格をクライアントに求められたら、
そういった依頼や仕事は断ると話した。

ところが、将来的にどんな働き方をしていきたいかといったことを尋ねると、
お金の関係ないところで仕事をしていきたいと語ったのだ!

詳しく話を聞いてみると、自分の信頼できる仲間内では
自分のできることを提供することによって、
衣食住を満たせるようになりたいということだった。
いってみれば物々交換にも近いような人間関係作れるコミュニティを作って、
最低限の生活はその中で賄えるようになったらいいということだ。
そして、もしそのコミュニティの外部の人と仕事のやり取りをするようであれば、
先ほどの20万円という彼の金銭感覚を基に取引をするということらしい。

なるほどかつては僕もそうした理想を抱いたものだった。
しかし理想というのは往々にして固定観念が形を変えて現れたものでもある。
この話を聞いたときの僕も、多かれ少なかれ、彼にそうした一面を感じた。
そこで僕はまた別の質問を投げかけることにした。

「コミュニティの中の人と外の人とを分けるものは何だろう?」

「信頼関係だと思います」

「では、信頼とは何だろう?」

「……」

これはとても困った質問をしてしまった。
彼は答えに窮してしまった。
しかしながら、彼の理想がコミュニティの内と外とで
違った形の経済活動ができる状態であるのだとしたら、
この「信頼とは何か?」という問いはとても重要な意味を持ってくると
僕は感じていた。
そして、この質問にはっきりと答えられないということは、
彼の理想は本心から湧き出たものではなく、
誰かの話を参考にしたかして、頭で考え出したものであるという証拠であった。

 

理想は自分の言葉で語れ

人間というのは、頭脳が発達したおかげで、言葉のやり取りに巧みだ。
ところが、この能力が巧みすぎるがために、
僕たちはしばしば言葉だけで物事を理解し、コミュニケーションを取ろうとしてしまう。

交流会で出会った先ほどの彼も、おそらくそういう傾向が強いのだろうと感じた。
言葉だけに頼った話というのは、現実世界という広がりを持った存在の裏付けがないから、
得てして質問に対して弱みを見せる。
このとき、「信頼とは何か?」という問いに対して答えに窮してしまった彼も、
「コミュニティを持つ」という理想については
頭の中で組み立ててはいたのだろうけれども、
果たして本当の信頼とは何かということ、もっといえば人間関係とは何であるかを
実感として理解できていなかったがために、言葉が見つからなかったのだろうと思う。

しかし、残念ながら人間は、経験や体験として実感していることだけしか、
真に理解しているとはいえない。
そして、理解していることからしか、真に実現可能な理想は想像されない。
共産主義や社会主義が人間の理想郷の姿であると、
机上ではいくらはじき出されようが、
そこに住むことになる人間自体が理解されていなければ、
理想的な社会はついに実現されることがないということだ。

なおかつ、経験や体験といった実感に基づかない理想というのは、
たいがい誰かが口にしたことを自分の口で語っているに過ぎない。
つまり、頭で言葉を理解しただけで、
その理想というのは自分の言葉で語られてはいないのだ。
だから、頭で理解している範囲の外のことを聞かれれば、
このときの彼のように、答えに窮せざるを得なくなる。

しかしながら、「理想」というものは、それが本物であるのなら、
本来それについてどんな質問をされたとしても、答えに窮することはないはずだ。
質問がその理想の核心部分を尋ねるものであるのなら、
なおさら答えに困らないはずである。

そうやって、理想や想いを堂々と語るには、出発点はやはり誰かの話した言葉ではなく、
自分自身の感覚でなければならない。
自分の感じたことをありのままに映し出す言葉だけが自分の言葉であり、
そこから紡ぎ出されるものが、真に自分の理想である。
「感覚」という、もともとは言葉にならない事実の裏付けがあってはじめて、
「理想」や「想い」といったものは実態を持ち始めるのだ。

「信頼」について話を進めているうちに、このとき話した彼は、
親友と呼べるような友人については、
出会ったときに直感的に「信頼できる」と感じたらしい。
僕らの理想というのも、頭でとやかく考えてこれを作るのではなく、
人との出会いのときに働くようなそうした直感を頼りに、
見出していくものなのだと思う。

 

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