病は己を原点に返す

ぶっ倒れてました

ここ数日間、少し体調を悪くしていました。

原因は明らかに寝不足です。

普段の仕事をこなしながら、
朝6時に起きて記事を書くという生活を
平日は続けているわけだけれども、
寝るのが12時を少し回ってしまう日が続くと、
僕の場合はもうダメです。

数日後にはあの忌々しい頭痛が
始まってしまいます。

ただ、ここのところはそういうこともなく、
生活リズムも安定していて大丈夫だなと
感じていました。

しかし一方で、
体の調子とはまた別のところで
いまいちリズムが狂っているような
感じがしていたのも
また確かでした。

 

リズムが狂うということ

このリズムが狂った感じというのは、
一言ではなんとも言い表しがたいです。

あえて言うならば、無意識的な欲求と
実際の行動の乖離とでも言いましょうか。

例えば普段、僕は文章を書くときは、
自分の実感というものを大切にしています。

自分の実感に基づかないことは
なるべく注意して書かないし、
書く言葉は僕の実感を
できるだけありのままに表す言葉を
書くようにしています。

普段の生活でも、この実感というものを
なるべく大切にして自分の行動を決めています。

自分が発言することが
書くことと同様であるのはもちろんのこと、
例えば今日は夕ご飯に何を食べようかだとか、
遊ぶにしても何をして遊ぶかということも、
なるべく自分の実感を加味して決めています。

とはいえ、日常生活に振り回されていると
これがなかなか難しいのも確かです。

仕事をしている間は、
外の天気がいくら良くても、
勝手に散歩には行けないし、
夕ご飯に何を食べるかにしても、
彼女を前にすれば、
自分の意見を思い浮かべるより先に、
彼女の意見を優先しようと思います。

人間関係が少し込み入ってくると、
あまり望まぬ社交辞令というのも
大切であるように思えてきます。

先月今月に関していえば、友達のよしみで
この頃は行かない交流会へ参加しました。

そういう一つ一つの
小さな欲求の乖離が積み重なると、
自分の感覚というのはだんだんと鈍っていきます。

僕の場合は、日を追うごとになんとなく
筆が鈍っている感じがしてなりませんでした。

 

病は感覚を研ぎ澄ます

そういうところへ来たのが
週末に発したちょっとした熱と、
それに続くちょっとした頭痛でした。

これらは前に経験したものと比べれば
軽いものではありました。

しかし、身体としては
打撃は大きくなかったとしても、
精神的には大きな教訓になったようです。

身体を悪くすると、意識は嫌でも身体に向きます。

この時も、痛い頭を抱えて、
あれやこれやと楽になる姿勢を取ろうとし、
意識は完全に身体ばかりに向いていました。

それが良かったのかどうかは知りません。

だけれども、ある程度元気になった頃には、
ぶっ倒れる前とは違った感覚、
いや、覚えはあるのだが忘れていた感覚を
自分の身体に対して持っていることが感じられました。

書くことにおいて実感というものを
大切にしている僕としては、
この身体の感覚というものがすこぶる大切です。

考えようによっては、
言葉の知識よりも大切かもしれません。

というのは、
身体を通して沸き起こってくるものがなければ、
そもそも何かを書こうとも思わないからです。

僕が何かを書こうと思い立つのは、
感覚的、もしくは感情的に
何かが沸き起こってきた時に他なりません。

これは毎日のように記事を書くことを
自分に課していても同じです。

感覚的、感情的に沸き起こるものがなければ、
たとえパソコン画面に向かったとしても、
何かを書こうという気にはならないし、
何かがかけるような気もしません。

それでも、日常生活を送っていれば、
自分の中には様々な感覚や感情が沸き起こります。

彼女の職場のセクハラ・パワハラ話を聞けば、
当然ふつふつと怒りが沸き起こるし、
本を読めばこんなに素晴らしい世界が
そこにはあるのかと感動もします。

しかし、それを実際に行動に表さなければ、
先のように感覚というのはどんどん鈍ってきます。

感覚が鈍れば、沸き起こってくるものも
少なくなってきます。

だからこそ、
「書く」ということをはじめとした
「表現すること」には、
身体を通した感覚というものが
絶対的に不可欠なのです。

 

原点を見失った日本社会

そういう意味では、
身体を病むことは自分の原点でもある
感覚というものに立ち返るいい機会です。

しかし、現代では身体を悪くしても
感覚というものに立ち返れる人が
なかなかいません。

僕が一緒に仕事をしているある人も、
しょっちゅう身体を悪くしているのですが、
真面目すぎる性格ゆえに休むこともままならず、
おかげで普段から身体を悪そうにしています。

だけれども、どんな仕事にしても、
あらゆる表現活動と同じく
感覚というものが原点にあります。

というより、仕事にこそ、
この感覚というものは必要です。

ほとんどの人が従事するにつれて
忘れることだけれども、
仕事において最も大切なことは、
お金を稼ぐことではありません。

お金を稼ぐことは二の次です。

では、最初に何がくるべきかといえば、
それはビジョン、理念、ミッションと
呼ばれるものたちです。

そもそも、会社というのは
これら精神的な支柱がなければ、
存在できないものです。

「お金を稼ぎたい」で生まれた会社というのは、
だいたいペーパーカンパニーに近いような
世の中に対して「価値」というものを
ほとんど提供していないものです。

個人にしても、
「お金を稼ぎたい」だけで
仕事を始めた人というのは、
だいたい1年やそこらで消え去っています。

稼ぎ続けている人は、
まがいなりにも理念やビジョンを掲げて、
ブランディングというものを
成し遂げている人たちです。

こうした理念やビジョンというものは、
頭の中だけで考えて、
付け焼き刃的にできるものではありません。

そんなものは、
クライアントにすぐさま見抜かれて、
あんたには何にも価値がないのねと
バッサリ切って落とされます。

理念やビジョン、価値というものは、
これまた感覚的に自分の中から
自然と沸き起こるようなものからでしか
形作られないのです。

現代日本では、経営者にしろ従業員にしろ
どうもそこのところが忘れられているようです。

だからこそ、通勤電車に乗れば、
身体や心を病んでいそうな人を見つけるのに
苦労はしないし、
経済のニュースを見ても、
どうでもいいような社内政治や
競争のしあいっこばかりで、
GAFAや中国のテクノロジー会社のように
ろくすっぽ価値のあるようなイノベーションを
生み出しているところはありやしないのです。

もっと原点に戻ることが必要です。

感覚を取り戻して、
人間として成長することが必要です。

それがなきゃ、
価値あるビジネスなどできやしません。

 

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