「成長すること」は「結果を出すこと」ではない

「成長すること」は苦しいことか?

ここ数日、立て続けに「成長」することについて
友達と話し合う機会がありました。

世間では何かと「成長が必要だ」と言われます。

経済は成長し続けなければならないと唱える人がおり、
技術は成長し続けるものだと唱える人がおり、
人生は一生学びであると人間性の成長を訴える人がいます。

僕自身、今よりももっといい生活がしたいだとか、
または最近取り組み始めたバッティングで
もっと上手くボールを打てるようになりたいとかいった
成長欲求があります。

僕らの人生には、大なり小なり成長欲求が溢れているのです。

だけれども、僕たちはなぜ、成長を追い求めるのでしょうか?

考えてみれば、
筋肉の成長には筋トレが不可欠であるように、
成長することはとても面倒ですし、
場合によってはとても苦痛です。
(実際、僕は気楽な気持ちで始めたバッティングでさえ
一時期、腕を痛ませることになった笑)

快適に、また苦痛なく過ごしたいというもう一つの本能とは
相容れない欲求のようにも感じられます。

ところが、「ああ、この人は毎日のように成長しているな」と
感じられる人ほど、成長は楽しいことであるかのように話します。

そしてこれは、バッティングセンターで腕を痛めた僕も、
腕を痛めたからこそ、同じように感じています。

 

成長は本来、楽しい

その経緯を少し述べると、腕を痛めた僕は、
そのままではバットを振り続けることは
できないぞと感じました。

また、それまで空振りばかりだったことから、
この打ち方はどうも間違っているらしい
ということも感じていました。

そのときちょうど頭に思い浮かんだのが、
腕の振り方に関するバッティングの理論でした。

自分を振り返ってみるとその理論とは明らかに違うことが、
腕の痛み方からわかりました。

そこで、次の日から腕の振り方を変えてみると、
腕が痛まなくなったことはもちろん、
ボールも思うように飛ぶようになったのです。

よりうまい腕の振り方は、腕を痛めるという苦痛の体験がなければ
気づくことができなかったでしょう。

腕が痛いという身体からのフィードバックがあったからこそ、
自分のバッティングの形が間違っていることに
気づくことができたのです。

こうした経験を得られた僕は、
ボールがうまく飛ぶようになったということとは別の
成長が得られたような気がしました。

それは、自分には問題解決の能力があるのだという自信です。

こうした気づきには
単にボールがうまく飛ぶようになったという喜びとは
また別の嬉しさがあります。

もともとは単なる嗜みと、
身体の使い方を磨くことを目的に始めた運動でしたが、
そうした目的に適う学びとは
また少し違った角度の学びが得られたという
一種驚きにも似た興奮が、この気づきにはあったのです。

実際、成長というのは、単に目的を達成するための道のりだけを
いうのではないような気がします。

人はどうしても目的の達成ばかりを追い求め、
成長にしても自分が望む結果が得られるかどうかで
その成否を判断しがちですが、
鍛錬することから得られるものは強靭な肉体だけではないし、
営業力を鍛えることから得られるものは報酬だけではありません。

そこには、僕が得たような自信を身につける機会もあれば、
よりよい人間関係の築き方や疲れにくい身体の動かし方といった
思いもよらなかった学びもあるかもしれません。

そういった意外な学びや気づきというのは
僕らをとても興奮させます。

そして、この意外な学びや気づきこそ、
実は本来の目的を達成するのに最も必要な
成長のポイントであったりするのです。

成長することを楽しんでいる人たちというのは、
そういう喜びに酔いしれることの心地よさを知っています。

だからこそ、彼らは目的を達成することを目指しつつも、
そこに対してストイックになりすぎることはなく、
一段一段階段を登ることに集中するのです。

 

「結果を出すこと」は成長じゃない

それでも、世の中には
「成長すること」=「結果を出すこと」と
考えている人が多いように思います。

確かに、結果を出すことは、
自分がどれだけ成長したかを指し示してくれます。

テストの点数は、あなたがどれだけ成長したかを示す
一種のパロメーターです。

だけれども、あまりに結果にこだわりすぎることは、
求めている結果とは一見直接には関係のないような学びを
みすみす見逃すことになりかねません。

こうした傾向が世の中で強くなっているということは、
例えば本屋に並んでいるビジネス書を見れば容易にわかります。

どれもこれも、「望む結果を簡単に得られますよ」
といった売り文句が並び、
「そのためにはこのスキルを身につけるだけ!」
と堂々と述べています。

そして、そうした本を読む人も読む人で、
本に書かれたスキルを身につければ、
自分は成長できるんだと思い込んでいます。

こうしたスキルもののハウツー本は、
何十万部も売れたようなベストセラーがいくつもあります。

でも、それで果たしてどれだけの人が
成長を実感したことでしょうか?

成長を実感した人がいるのであれば、
なぜにまた似たような内容の本が
ベストセラーになるのでしょうか?

成長というのは、
単にある知識やスキルを身につけることではありません。

ましてや、望む結果を出すために必要な成長は、
自分が考えているほど幅の狭い道のりでもありません。

「結果」というのは単に自分の現在地を指し示すものであって、
目標として誰かに強制されるものではないのです。

腕を痛めたという僕が得た結果のように、
「結果」はせいぜい、次の成長を考えるための材料でしかないのです。

だからこそ、結果を出すことを目的に成長するというのは
ある意味では間違っています。

もちろん、自分が理想とするようなビジョンがなければ、
成長への意欲は沸き起こらないわけだけれども、
かといって得られた結果に一喜一憂しかしないようでは、
成長などあり得ません。

「成長する」ということは、本来、
「結果から学ぶ」ということなのです。

 

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