贅沢は必要になったときにすればいい

贅沢自慢の投稿

フェイスブックやツイッターなどのSNSを見ていると、
よく「ヨーロッパに行きました!」
「こんな高級ホテルに泊まりました!」
「こんな高級ブランドを買っちゃいました!」
「こんな有名人から教えを受けました!」
などといった投稿を目にします。

そういった投稿には、賛否両論あると思います。

見栄を張ったような投稿は、
あまり美しくないのは確かです。

かといって、それに対して妬む心を抱いたり、
興味のないふりをしてみせるのも、
あまり気持ちのいいことではありません。

僕自身、そうした投稿には長らく見栄を張って
興味のないふりをしてきたけれども、
それはただ単に自分を卑屈な人間にするだけだと感じ、
今では羨ましいなら羨ましいと
単純に思うだけにしています。

でも、羨ましいと思ったからといって、
ではすぐにそうした投稿と同じように
贅沢をしようと思うかというと、
そういうわけでもありません。

必要以上の贅沢は自分には必要ないと感じています。

なぜなら、自分にとって必要以上の贅沢をしても、
そこから得られるものは大して多くはないからです。

 

僕の留学は失敗だった

かつて僕は学生時代に、ドイツ、スイス、そしてイギリスと
3箇所の地へ、合計約15ヶ月ほど留学に行かせてもらいました。

ドイツとスイスではドイツ語を学びに、
そしてイギリスでは経済学を学びに、
現地の学生や他の留学生と混じりながら、
勉強してきたのです。

返還不要の奨学金も受けていたとはいえ、
今振り返ればこれは相当な贅沢です。

生活費などを含めた留学費用は、
200万円は越していたと思います。

当時の僕も、いくらかそれは感じていたから、
それぞれ、留学前には当然ワクワクしながら、
絶対に大きな学びを得て帰ってくるぞと
意気込んでいたものです。

現地で会った外国人とたくさん友達になろうとも
考えていました。

勉強も、トップレベルの成績を
持ち帰ってやろうと思っていました。

でも、当時はあまり自覚していなかったが、
僕が「留学」というものにこだわっていたのは、
「留学をした」という肩書きのようなものが
欲しかったからに他なりませんでした。

「イギリスで1年留学してきた」と語れれば、
世間は自分を「すごい!」と思ってくれるに違いないと
考えていたのです。

本心がそんなものだったから、
現地での勉強というのは、
実際にはそれほど深く考えていませんでした。

ドイツ語や経済学という学問について、
頭では自分にとって必要だと思い込んでいた節はあったものの、
実際それがどれだけ自分のキャリアや人生に
必要かということは、
全く自覚していませんでした。

そんな心持ちで臨んだ留学だったから、
現地での勉強は早々に面白くなくなりました。

授業を受けても、教科書を読んでも、
何が自分にとってためになるのかわからず、
覚えた端からどんどん忘れていきました。

結果、僕は留学をしたものの、
帰国してから就職活動を始めたときに、
自分は留学で何を学んできたのかがわからず、
面接対策に苦労したのでした。

 

宝の持ち腐れ

今だからいえることだけれども、
留学という経験は、僕にとって
身の丈に合わないものだったのでしょう。

しかし、こうした身の丈に合わないような
贅沢をしている人は、
僕だけに限らないと思います。

初めに書いた、SNSなどで贅沢自慢をしている人などは
特にそうした傾向があるのだろうと思います。

しかし、どんな学びも
自分が本当に必要としなければ
身につかないのと同じように、
どんな贅沢も
自分が心の底から「するべき」だと思わない限りは、
浮き足立ったものになってしまいます。

ブランド物でいくら着飾ろうが、
それを見栄っ張りなど自分の欲望を満たすためだけに
欲するのであれば、
センスがないと言われてしまいます。

セミナーなどではよく、
講義の終了後に講師との記念撮影が行われます。

しかしこれも受講者の見栄っ張りな欲望と、
それを満たすことで
妄信的なリピーターを増やそうとする講師との
需要と供給の現れです。

贅沢は確かに気持ちがいいことです。

それは日常的にはあり得ないような体験を
自分にもたらしてくれるようで、
それだけで自分はいつもの自分とは違うのだという
擬似成長体験が得られます。

でも、お金を払って見た目だけ取り繕っただけでは、
実態の自分は何ら変わっていません。

擬似成長体験の快感はすぐに切れ、
人はまた新たな贅沢を求めていきます。

お金を払えば払うほど、
得られるものは確かにより素晴らしくなっていくのでしょう。

しかし、得られたものを使いこなすことができなければ、
それは宝の持ち腐れです。

内面が未熟であれば、素晴らしい衣装でいくら着飾ろうが、
また高度な学びをいくら受け取ろうが、
似合うこともなければ、
望む評価を周りから受けることもありません。

最後に残るのはただ高額な請求書と
周囲からの冷めた目です。

 

自分にとって必要な贅沢とは何か?

とはいえ、贅沢は全くするべきではないかというと、
そういうわけでもありません。

自分にとって真に必要なものを買うことは、
金額がいくらであろうが、
時にはやるべきことでもあるからです。

ただ、これは贅沢とは少し違った感覚かもしれません。

贅沢といえば、それは別に対して必要もないものに
多くのお金を払うことをいいます。

しかし、自分にとって必要な贅沢というのは、
あたかもスーパーで
毎日の食材を買うときのような感覚で
為されるます。

僕自身の経験で語ってみます。

僕はもともと「オシャレ」というものには
あまり関心がありませんでした。

洋服の好みこそあるにはあるが、
髪の毛はいつも安い床屋で切ってもらい、
寝癖も適当に直すだけです。

おかげで彼女からは毎日のように
「髪の毛がボサボサ」と言われる始末でした。

しかし、一人のライターとして、
またライターを育てる身として
生きていこうと決意したからには、
だらしのない身なりをしていたのでは、
いくら相手にとって
役にたつと信じている言葉を発そうが、
読者やクライアントは
まともに僕の言葉に耳を貸さなくなるでしょう。

それに何より、そんなだらしない姿では、
僕自身が自分のことを
「理想のライター」とは思えません。

だからこそ僕は、
自分の本心を文章に書き綴り、
また見栄ではなく本心を書き綴れるライターを
育てるという志が定まってから、
その志を実現する理想のライターとは
どのような姿であるか
内面と外面の両方から
より真剣に考えるようになりました。

髪型についても、以前よりも注意深く
周囲のファンションを見るなどして、
どんな格好がいいか、真剣に悩むようになりました。

世の中には
確かに高級ブランドと呼ばれる商品が
たくさんあります。

でも、それらはただ単に
僕らの消費欲を満たすためにあるのではありません。

どんな商品も、それらは自分自身を表現する材料です。

だからこそ、どんな商品も
出来る限り自分の本心に沿って消費されるべきです。

そして、本心に沿った消費活動をするためには、
自分は何者になりたいかという志を
自分の中ではっきりさせることが必要なのです。

 

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