美術館は学びの宝庫だ

ふらりと国立新美術館へ

先日、国立新美術館へ行ってきました。

特に何を見るという目的もなしに、
ただ、前々から彼女と美術館へ行きたいね
と話していたこともあって、
何が開催していて飾ってあるかも調べずに、
二人で行ってきたのです。

当日やっていた展示は「行動展」と「新制作展」
それと「話しているのは誰?現代美術に潜む文学」
の3つでした。

どれもそれなりに興味をそそるものだったけれども、
僕らはその名前から「行動展」を選ぶことにしました。

コンセプトを読んでいたわけでは全くありません。

ただ、自ら「行動」しなければ
何の創作意欲も湧かぬということを、
自らの身でもって実感している僕からすれば、
彫刻や絵画における「行動」とは何ぞや
ということをこの目で確かめてみたかった
というだけです。

結論からいうと、
僕のこの「行動」に対する考え方と
「行動展」を主宰する
「行動美術協会」が考える「行動」とは
どうやら何かが違ったようです。

それでも、美術を楽しむということについては、
僕は昔以上に楽しめたのではないかと思います。

 

意味は歪曲したら伝わらない

現代美術というのは難しいものです。

人や風景、動物など、
形のはっきりしているものはいいです。

ピカソの「ゲルニカ」や「泣く女」、
ダリの「記憶の固執」などシュールレアリスムも、
意味を把握することは難しいが、
まだ楽しむことができます。

ところが、絵画にしても彫刻にしても、
ただ線を並べたり、四角形を組み合わせたり、
丸をいくつも書いてみたりという
何を表しているのかわからないくらい
抽象的なものになってくるともうダメです。

いや、きっとそこには作者の考えが反映され、
何かしらの意味が
込められているのではあろうけれども、
それを捉えられないくらい
意味を抽象化されてしまっては
見ているこちらとしても沈黙し、
ただ通り過ぎざるを得なくなります。

しかし、これは何も
美術だけの話ではないのだけれども、
現代の芸術というのは
意味やメッセージを伝えることよりも、
自らの技術を誇示することが目的であるようです。

おかげで、
公募展であった僕の訪れた「行動展」にしても、
作者が自らの技術を見せびらかしたいという作品が
多かったように思います。

展示場内で「奨励賞」などと
主催者側から評価されていた作品にしても、
僕としてはさっぱり意味や価値の
わからないものばかりでした。

しかし、そんな中でも
「これは」と思える作品が少なくなかったというのは、
公募展の一つの特徴でもあったのかもしれません。

 

美術は「言葉にならない想い」を伝える

人はなんで筆を取るかといえば、
伝えたいことがあるからです。

同様に、人がなんで絵を描き、
立体物を作るかといえば、
自らの中に、表現し、
伝えたいことがあるからです。

そもそも、「誰かに何かを伝えたい」
という気持ちがなければ、
人間にはまともな創作意欲は湧きません。

ところが、
この「誰かに何かを伝えたい」という「想い」は
言葉として自分の中に沸き起こってくるとは限りません。

いや、そもそもあらゆる「想い」というのは
沸き起こってくる時点では言葉ではありません。

僕たちは普段、言葉でもって生活しているから、
顔が緩めば「楽しい」、
胸が高ぶれば「悲しい」「イライラする」
などと、感情や感覚を
すぐさま脳内で言葉に置き換えるけれども、
それらはもともと言葉ではないのです。

だから時折、僕たちは
「言葉にならない」などという言葉でもって
えもいわれぬ感情をやむなく表現することがあります。
(プロのライターというのは、
そこのところをうまく表現するわけだけれども)

でも、人間ができる表現というのは、
何も言葉だけではありません。

絵画や彫刻といった美術活動もまた、
一つの立派な表現活動です。

場合によっては、
絵画や彫刻の方が、言葉よりも雄弁な時があります。

美術が真の力を発揮するのは、
そういう時であると僕は思います。

つまり、己の中に沸き起こる
言葉にならない、えもいわれぬ感覚や感情を、
それでもどうしても誰かに伝えたい時に、
ある意味ではやむなくキャンバスや立体物に向かい、
形にしていくのです。
(だからこそ岡本太郎は
「芸術は爆発だ」という言葉を残したのだと思います)

その結果生まれる作品には、
作者の精神があらゆるところに散りばめられていて
とても見応えがあります。

「行動展」に展示してあった絵にも
いくつかそうした「やむを得ない創作」が見られました。

そしてそれは、過去の僕や多くの人が
「わけがわからない」と斬って捨てるであろう
抽象画にこそ、より多く見られました。
(抽象画であるがゆえに、言葉で説明することが
とても難しいのが残念です)

 

美術館は感性を育む

こうした言外のメッセージを読み解くことは
日常生活や仕事でも多分に生きてきます。

言外のメッセージを読み解くということは、
物事の観察眼を鍛えることでもあります。

海外のエグゼクティブなどは
よく美術館に足を運ぶ人も多いというが、
その背景にはこうした理由もあるのでしょう。

物事の観察眼を鍛えれば、
普段でも世の中から得られることというのは
自然に増えてくるものです。

実際にiPhoneやMacintoshを世に送り出した
スティーブ・ジョブスも、
浮世絵やらランプやらといった美術品を
楽しんでいたようです。

美術というのは、それほどまでに
人の目と感性を育むものなのです。

僕自身、昔は美術館など退屈で仕方がない
としか思っていなかったのですが、
そうした美術の魅力に気づいてからは
魅力的だと感じたところであれば、
何時間でも過ごしていられます。

こうした感性にどっぷり浸かる時間は、
日頃からしっかりと持ちたいものです。

 

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