それは見る者の世界を変えているか?

CM化するテレビ番組

久しぶりにテレビを見た。

今、自宅にはテレビを置いていない。

元からテレビは
それほど見る方ではなかったから、
なくてもそれほど困ることはない。

テレビがなくて「あれ?」と感じるのは、
せいぜい、台風が来ていても、
知り合いと会って話すまで気づかない
ということくらいだ。

それ以外は日常で違和感を感じることはない。

そんな僕だけれども、
この数日は旅行に出かける親の代わりに
実家の猫を見守るために帰省して、
(といっても自宅から電車などで
1時間かからない程度)
久しぶりにテレビをつけた。

お昼頃にテレビをつけたということも
あったのかもしれない。

しかしチャンネルを回して映るのは、
どれもこれも街中の情報番組ばかりだった。

そんな番組を見て彼女がポロリと言った言葉が、
今のテレビ番組の特徴を端的にしてしている。

「これ、番組なのかCMなのか、わからない…」

そうなのだ。

ちょうどテレビ番組が始まるところに鉢合わせて
チャンネルを回す手を止めたのだけれども、
番組が始まった瞬間というのが、
CMとは一瞬見分けがつかないのだ。

いや、番組の始まりだけじゃない。

グルメの紹介をしていたその番組は、
見ている限りずっと、
ながーいCMという具合だった。

登場していたゲストが出演した映画のPRはもちろん、
番組内で回ったグルメの紹介にしても、
出演者は「おいしい〜」だとか、
「この塩加減が絶妙ですね〜」だとか、
ありきたりなことしか言ってこない。

いや、これが彼ら、彼女たちの役割だから、
それはそれでいいのかもしれない。

しかし、たとえそうとはいえ、
では彼らの表現する「おいしい」が
しっかりと伝わってきたかといえば、
そういうわけでもない。

紹介されている料理を食べている彼らの顔からは、
美味しさも、楽しさも、
それほど伝わってくるわけではなかった。

全く、出来の悪いCMである。

しかし、他のチャンネルを回しても、
似たり寄ったりの番組しかなかったところを見ると、
今のテレビ番組というのは、
こういうCMくずれのものが受けるのかもしれない。

 

人は情報よりも面白さを求める

もっとも、テレビを含めて
何かしらを表現するということは、
何かしらをアピールすることと
ほとんど同じ意味だ。

僕が毎日続けている
記事の更新というこの行為も、
一種のアピール行為である。

だから、テレビ番組がCMらしくなることには
別に何の不思議はないし、
それはある意味当然の帰結でもある。

とはいえ、優れた番組というのは
やはりCMとは違う。

そして多くの人の支持を集めるCMというのも、
単に商品のPRで終わるものではない。

例えば、面白いと話題になって、
YouTubeでもまとめ動画が投稿されている
ソフトバンクや缶コーヒーのBossといった
CMがある。

これらは、別にソフトバンクの携帯電話を使っていたり、
Bossを毎日飲んでいたりしなくても、
面白いと言って、CMを見る人がいる。

そして、その結果として、
ソフトバンクやBossは視聴者の記憶に
より深く刻み込まれる。

まあこれらのCMの中身が、
商品の内容とどれほど深くつながっているかといえば、
それはなかなか
たかが知れたものであるとは思うのだけれども、
しかし、とにもかくにも視聴者の記憶には刻まれる。

人間とは面白いもので、
単に情報を求めるためというよりは、
面白いと感じるものを
見たり聞いたり読んだりしたいがために、
CMなどのコンテンツを体験するわけだ。

 

「面白い」とは何か?

ところが、この面白さということについても、
テレビは、いや世の中全体は
結構迷走しているように思う。

テレビが面白くなくなったと言われて久しいし、
同じ動画コンテンツでいえば、
YouTubeで人気と言われるコンテンツだって、
テレビと比べればそれほど大差ない。

僕が関わっているような文章コンテンツにしても、
例えば本は年間8万冊近くも毎年出版されながら、
何十年後も残りそうな名作というのは年に一冊か二冊
あればいい方だ。

SNSをはじめとしたネットコンテンツについていえば、
その状況は一面的にはさらにひどく、
「フェイクニュース」という言葉があるように、
嘘まがいの情報ばかり垂れ流しているところもあれば、
「炎上商法」といった感じで、
とりあえず過激なことを言っていればいい
といったところもある。

そういう状況を見回して言えるのは、
どれもこれも表現するということ、
また面白いということについて、
どこまでも短絡的なのだ。

いや、YouTubeで人気のあるコンテンツというのは、
確かに面白いものもある。

フォロワーや再生回数が伸びる理由も
それなりにわかる。

だけれども、じゃあそれらを見続けて、
自分の生活が面白くなるかといえば、
そういうことは決してないのだ。

YouTubeの中で起こっていることは、
YouTubeの中でしか起こっていないわけで、
自分の周りはいつまでたっても
YouTubeの世界のように面白くはならないのだ。

自分が今いる世界が面白くなるかどうか。

僕はこれが、コンテンツが
真に面白いものかどうかを決めるのだと思う。

つまり、動画で流した事柄、
また文章で書いた事柄に、
どれだけ視聴者や読者を巻き込めるか、
そして、彼らの生きる生活や世界を
どれだけ面白いものにできるかが、
そのコンテンツの面白さを決めるのだ。

 

見る者、読む者の世界観を変えろ

そういう意味では、
面白いコンテンツを作りたいのであれば、
そこには受け手の世界や生活、
ひいては世界感を変える
「価値」が必要になってくる。

そして、その「価値」は、
ありきたりなものであったり、
無個性なものであったりでは
あり得ない。

人の世界観を変えるものは、
画一的ではあり得ない。

人の世界観を変えるものは、
どこまでも個性的なモノである。

この「個性的なモノ」を生み出せるかどうかが、
文章や動画といったコンテンツを作る上では
どこまでも大切だし、
これを抜きにしてはどんなに小手先の手法を学ぼうが、
面白いとは決して言われない。

だからこそ、コンテンツを作るのであれば、
まず自分の個性とは何かをしっかり把握し、
また常に自分の実感というものを静かに観察し、
それらを周りの目など気にせずに、
表現し続ける必要があるのだ。

 

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