世の中から本当の過激さがなくなった〜過激な創作活動とは何か〜

「過激」な漫画家より過激な世の中

先日、漫画家・永井豪の
インタビューが新聞に載っていました。

永井豪といえば、『デビルマン』や
『キューティーハニー』など、
当時は過激と言われた絵やストーリーで
一世を風靡した漫画家です。

ちょっと前も、NETFLIXで『デビルマン』が
「過激に蘇る」として話題になっていました。

そんな「過激」が代名詞でもある永井豪ですが、
新聞のインタビューではこう語っていました。

「今の世の中の方がよっぽど過激になっちゃった」

 

中身はどこまでも落ち着いている

確かに、一面そうかもしれません。

外国人差別などのヘイトスピーチは
街中で目立つようになりました。

N国の立花孝志など、国会議員の発言も、
常軌を逸しているものが目立ちます。

ネットの掲示板などを開けば、
「殺せ」や「キチガイ」など、
見るだけでも胸糞悪くなるような言葉を
容易に見つけることができます。

だけども、表っつらは過激に見えても、
実際の中身は、
ますます腑抜けてきているのではないかと
僕は思います。

腑抜けている、というのは、
抗えざる時の流れに対して、
いつまでも過去に止まろうとする
その姿勢です。

例えば、ヘイトスピーチを見てみましょう。

どこそこの国は能無しだの、
その国の人たちをぶっ殺せだのと喚いていますが、
要はまとめてしまえば、
その国が日本よりも発展したり、
強くなったりすることがイヤなだけです。

だったら自分たちがそれ以上に発展しろよ
と思うのですが、
だけどもそういう人たちは
自分たちが変化するのもイヤなようです。

それを証拠に、
彼らにはぶっ殺すということ以外に、
日本社会の明確な未来像というのがありません。

もっとも、それは
ヘイトスピーチで喚いている人たちだけではなく、
政府にしても、企業にしても、
そこで働いている人の多くにしても、
考えているのは今の利権をどうやって守るかで、
移り行く時の流れによって
確実に到来する未来というものを見ていません。

誰も彼もが、今の状態を、
ともすれば昔の状態を維持しようとしており、
その意味で、表っつらは過激な言葉を叫んでいても、
中身は全く落ち着きすぎていて、
何にも動いてすらいないのです。

だから、僕は今の世の中に
あまり過激さを感じないし、
一面つまらないとさえ思っています。

 

物足りないから腑抜けた過激になる

おそらく、過激な言葉を叫んでいる人も、
同じようなことを感じているのではないでしょうか?

過激な言葉を叫んでいる人は、
口にする言葉は
どこまでも過激にするのだけれども、
実際その心はどこかで物足りなさを
感じているように思います。

なぜなら、過激なのは言葉だけで、
実際の行動は、未来への発展という点において、
全く過激ではないからです。

ところが、この過激への欲求不満が
溜まりに溜まりまくると、
行動は暴力など、より短絡的になってきて、
困ったことになってきます。

内面的な発展という過激さがなければ、
それへの欲求不満は外面に現れて、
行動はより浅はかに、
そして表面的にはより過激になっていくのです。

同じことは、ヘイトスピーチまでは行かなくても、
僕たち普通の人たちにも言える部分があります。

例えばエンターテイメント。

「昔のお客は笑うまいとし、
いまのお客は、とにかく笑おうとする」

という立川談志の言葉は
以前紹介した通りですが、
そこで述べた通り、
今の人たちはとにかく精神的な刺激を
いつでもどこでも求めています。

しかし、これも結局、
自分の内面に過激なものが足りないからです。

自分の中に、夢や希望といったワクワクすること、
そしてそこに対して全力で向かっているという実感が
ないのです。

残念ながらそれは、
今の多くのクリエイターにも
言えることかもしれません。

クリエイターたちの多くも、
自分が心の底から表現したいことを
見失っているのです。

だから、最近のドラマや映画は
昔流行ったもののリメイクやら続編やら
真似事が多く、
それも昔のものよりも中身が薄いことが
ほとんどなのです。

 

本当の過激さを取り戻せ

過激さを自分の中に取り戻すには
どうすればいいのでしょうか。

それは、例えば過激な言葉を吐いたり、
YouTubeやネット、本屋などで
面白そうなコンテンツを
探したりしているようでは、
絶対に成し遂げられません。

そんなことをしていても、
自らの内面は何ら発展しないし、
未来の生に対する夢や希望も生まれはしません。

一つのヒントは、僕が先日読んだ
脳科学者の茂木健一郎さんによる対談集
『芸術の神様が降りてくる瞬間』
(光文社、2007年)
に出てきた、
荒川修作さんの生き方でしょう。

彼は、自分の感性をどこまでも信じ、
それゆえに、発せられる言葉は、
ある意味ではそこらのヘイトスピーチよりも
圧倒的に過激でした。

本当の過激さとは、
感性やセンスから自然と沸き起こるもの
からしか生まれません。

それは、頭で善悪を考えるヘイトスピーチなどとは
質感において全くわけが違います。

ヘイトスピーチには根も葉もありませんが、
感性やセンスを基にした言葉は地に足がついています。

同じ政府をぶっ潰せという言葉でも、
単純なヘイトスピーチは
ただの思い込みからしか来ませんが、
感性とセンスを基にした言葉であれば、
そこには聴く人の心を揺さぶる質感と
裏にある実感とが感じられます。

より具体的にいえば、
国会前しか知らない左翼が叫ぶ「原発反対」と
福島を経験した県民による「原発反対」の
どちらの言葉の方がより重いかということです。

僕には、後者の方が前者よりもよっぽど過激で、
人を動かす力があるように感じます。

僕らライターやクリエイターに必要なものも、
結局そういう実感のともなった言葉や表現であり、
その実感から沸き起こってくる
自分の願望や、世の中の未来像です。

そういう、実感に裏付けされた過激さが、
今の世の中には求められていると思うのです。

 

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